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2011-06-30

笑う沖縄 百年の物語

録画してたNHK『笑う沖縄 百年の物語』観た。しょっぱなと最後の締めの唄にクソやられた。
そんで番組で気になったワードをYouTubeで検索しチェックしたやつ色々↓

テルリン役やってた沖縄民謡界の新鋭・平良大。やべえ、オレも三線やってるけど弾くのクソ速ええ。
つまりカッケー


テルリン!!!生ち返えやびたんでえ~


一番重要な「小那覇舞天」に関する動画は無かった。
小那覇 舞天(おなは ぶーてん、1897年-1969年)は沖縄県出身の演劇人、歯科医である。本名・小那覇全孝。今帰仁村生まれ。旧制沖縄2中(現・沖縄県立那覇高等学校)から日本歯科医専(現・日本歯科大学)を経て嘉手納で歯科医を開業するかたわら、沖縄の伝統芸能の保存、普及に努め、また大衆演劇人として弟子の照屋林助とともに、占領下の焦土と化した沖縄で大きな人気を博し、沖縄のチャップリンと呼ばれた。

ウチナーンチュ発見会話メドレー


三味線三兄弟


宮古でGO!タクシーバージョン

そういや昔、沖縄に滞在してた住所近辺のタクシーの運ちゃんクソうざかったなあ。
フツーに歩いてるだけなのに車から
「ニーニーどこ行くね?風俗?近くにイイ店あるよ~かわいい娘イッパイいるさあ~」
みたいに何台も声掛けられた。行かねえっつーの!長期貧乏滞在者だから金無えっつーの!でも沖縄はタクシーの運ちゃんに限らず近所のガキから店の人まで本土の人と話すの好きなんだろうね。まあ結局タクシーは何回か乗ってみたけどみんな話が観光から女の話まで楽しかったのは確かだった。流石に上の動画みてえな奴はいなかったけどw

お笑いはもう一つ「お笑い米軍基地」っての貼りたかったけど検索したら宣伝の動画しか無かったので割愛。

以上。

なんつーかザックリ言うと沖縄は悲しい過去と現在進行形で続く沖縄の矛盾が引き金となって
様々な芸能が様々な形を経て面白く発展していったと思うんだけど、
ぶっちゃけナイチャーのオレにはようワカランが笑顔になれればいいんじゃね!!!!????
ってなスタンスで沖縄の芸能を楽しませてもらってます。
とにかく、笑いに変換するっていうのは何時の時代も素晴らしいってことなんですよ。
「生き残った者が元気を出さなくてどうしますか!ヌチヌ(命の)スージ(祝いを)サビラ(しましょう)!」
って精神は今回の震災にも全然通ずると思うし。

つーわけで、難しいことはむる判らんっ!


最後に曲は違うけど、番組しょっぱなと最後の締めの曲を唄ってた人。仲田まさえ


千夜千夢
千夜千夢

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